最近、何故か時間の流れを気にするようになる。 
何か変化に気付いたとき、時間が流れているのを強く意識する。 
1)アンケート用紙がタブレットで代用される 
2010年に献血したときは、紙の用紙にアンケート結果を記入していたのに、 
先月献血したらタブレットに置き換わっていた。 
2010年からの献血した時から、より多くの経験値を積んでいたなら、 
少しでもアンケート結果に反映されるはずなのに、自分のアンケート結果は前回と同じである。 
自分のアンケート結果は同じでも、記入方法がタブレットに代用されてることに気付いて、 
世の中は進んでいるのだなぁとしみじみと感心。 
2)愛用している腕時計の価値が下がる 
先週、高校から使っている腕時計が壊れて、時計屋に修理に持っていったところ、 
代替部品があるか調べてみると言われた。 
この傷だらけの時計にどれだけの価値があるか知らないが、$60はかかるぞと念押しされた。 
僕にとっては愛着のある時計なので$60ぐらいなら大丈夫だと思っていたが、時計屋からするとこの古い時計には$60かけて修理するほど、価値があるかどうか疑わしいのだろう。 
それだけこの時計は時間を刻んだのだろうが、僕の中でのこの腕時計の価値は全く衰えていない。
自分の価値観とこの時計の価値に「ずれ」が生じたのは、時間が流れたためだろうか。 
3)小さな子がiphoneをおもちゃとして遊んでいるとき 
僕は、タッチパネルがあまり好きでない。タッチするときに、ボタンのような膨らみもなければ、押し返されたフィードバックも無いから、とても慎重にタッチする位置を指で定めないといけないが面倒なのだ。 
携帯電話が出現した当時に、メールが面倒で打ていないお年寄りと同じ現象なのかもしれない。 
時が流れて年をとることで、自分の柔軟性が失われつつある証拠なのかもしれない。 
時間の流れを止めることは出来ないが、流れる速さは個人差がかなりある。 
子供の時は時間が流れるのが遅いし、年を取るにつれて時の流れは速さは増す。 
どうしたら時の流れを遅く出来るのだろうかと考えてみたら、僕のなりの結論が出た。 
「ちょっと先を予想する」 
何か変化に気付いたときに時間が流れを意識するのなら、ちょっと先に予想していれば 
その変化も無意識に受け入れて、気付かないかもしれない。(←理想的過ぎるが。。。) 
そしたら、時間の流れを意識しないはず。 
これからは、「ちょっと先を予想しよう」と決意すると、同時に、 
そんな器用なことは、僕には出来ないことを悟ってしまう日曜日だった。